小松芳アラビア舞踊団

1.ベリーダンスとの出会い

オイルダラーに沸き、カイロやニューヨークで全盛期を迎えていたベリーダンスの世界。華やかなショーが毎夜のように繰り広げられるナイトクラブで、当時ごく普通のOLだったカリーマはいいようのない異世界に遭遇します・・・

 私が生まれて初めてベリーダンスを見たのは22・3歳の頃。ロスで、お腹のコインをひっくり返すショーをたまたま目にしたのが最初でした。当時の私は「へぇ〜」などと感心しながら、漠然と眺めていたものです。

2度目はニューヨークを訪れた最初の夜。日本人の団体客と一緒にナイトツアーでラスベガススタイルのショーを見に出かけたとき、再びベリーダンスを目にしました。ナイトクラブの2Fからアラブ音楽が聞こえてきたので階上に上がってみたら、そこはベリーダンス・クラブでした。踊っていたのはジハーン。ショーが終わったあと「とても素敵」と声をかけたら、「私のお母さんも見にきているから、テーブルにいらっしゃい」と誘ってくれました。当時、ジハーンは踊り始めてほんの6ヵ月でした。この夜は、ジハーンとお母さんと彼女の友人たちと朝まで一緒に過ごし、それ以来ジハーンと彼女の友達のサマーラとはずっと友人関係が続いています。

 3度目はエジプトで。カイロ市内のピラミッド通りにある「アリゾナ」というナイトクラブでした。ダンサーは小太りのおばさんで、ネットで覆ったお腹をナマコのようにくねらせていました(今の私そっくり)。ニューヨークやロスで見たベリーダンスとは、踊りもダンサーの体型もまるで違うので理解できず、「変な踊り」というのが率直な感想でした。だから、ベリーダンスを好きではないという人の気持ちがよくわかります。エジプトのベリーダンサーがヴェールをもって踊る姿は、まるでブーフーウーがマントをひるがえしているようでしたから…。

KARIMA Arabian Dance Company

 ただし、エジプトで見たステージの豪華さは見事なものでした。ダンサーのバックでは20〜30人編成のオーケストラが演奏し、何人もの歌手が次々に登場。客席はサウジアラビアなどの産油国から遊びに来た人々で埋まり、イスラムの国なのにテーブル上には人数分のウイスキーボトルが置かれている。真夜中だというのに家族連れも多く、子供や赤ちゃんまで一緒。そして、お父さんはウイスキーを一気呑みしている……。

 すっかりいい気分になったおじさんたちは、やがて山のように札束を積んだ銀のお盆を使用人に持たせ、ステージに上がってきて花咲か爺さんのようにダンサーの上に振りまき始めました。ステージの上はお札で埋め尽くされ、ダンサーが踊る足元で蹴られそうになりながら、若い鞄もちの男の子が床に這いつくばってお金を拾い集めます。

 私は見たこともない光景に圧倒されて、呆然。窓に暗幕を張ったナイトクラブの中で、こうしたショーは朝の7時まで繰り広げられました。その後、ギリシアとトルコでもベリーダンスを見ましたが、エジプトで見たショーの印象があまりに強烈すぎて、ほとんど覚えていません。当時の私はごく普通のOLだったので、まさか自分が踊ることになるなど夢にも思っていませんでした。

 1980年代はオイルダラーでアラブ人が栄え、大きな力をもっていた時代でしたから、ショービジネスの世界も華やかでした。ニューヨークの高級アパートのペントハウスにはお金持ちのアラブ人がたくさん住んでいて、夜になるとよくベリーダンスを見にやってきました。私がニューヨークで踊っていた頃も、お客が振りまくチップで滑りそうになりながら、お札を蹴って踊ったこともしばしばありました。

 エジプトで踊っている頃は、ステージに立つ私の衣装よりもっと豪華なドレスを着たサウジアラビアのお姫さまたちをよく見かけたものです。彼女たちは若いエジプト人歌手を2〜3人引き連れ、見たこともないような派手な服でナイトクラブに遊びに来ます。とり巻きとともにステージに上がってきて踊ると、これがまたとっても上手!赤ちゃんの頃から一家でナイトクラブに来て、一流スターのステージを見てきたのですから年季が違います。お姫さまたちだけでなく、アラブ人たちもみんな体に踊りが染みついている。そんななかでダンサーである私は、彼らに負けるわけにはいかないと必死で踊ったものです。

 当時のエジプトにはスヘイラ・ザキ、フィーフィー・アブド、ナグア・フォアード、アッザ・シェリーフ、モナ・サイードといったスターダンサーが大勢いて、大きなオーケストラを従え、一座の座長として君臨し、まさに女王のように踊っていました。フィーフィーやナグアは踊りだけでなくトークや歌もすばらしく、カリスマ性たっぷり。レダ民族舞踊団の男女をバックダンサーに使ったナグアのショーは構成も楽しく、ため息が出るほど豪華なエンターテイメントでした。

 こうした一流のダンサーとそのステージを、私はエジプトにいる2年間で毎晩のように見ることができましたが、残念ながら今は当時のような豪華なステージは失われ、チップを振りまく客も消えてしまいました。日本で芸者総上船場の旦那衆がいなくなってお座敷芸が廃れたのと同じように、いわゆる「旦那衆」がいなくては若いダンサーが育ちません。芸術にはパトロンが必要です。オイルダラーの衰弱とともに、ショービジネスの世界も華やかさを失っていきました。

 今はアラブ人のダンサーであっても、20代であればベリーダンス全盛時代の生のステージを知りません。話に聞いたりビデオで見るだけでは決して味わえない、あの独特の雰囲気、蒸せかえるような熱気、アラブ人たちの賑わい……エジプトで味わった体験が、猛烈な力で私をこの世界に引きずりこんでいきました。

小松 芳

こまつ かおる
小松芳アラビア舞踊団主催。ニューヨークで最高級のアラビアンレストラン『ザ・ナイル』のオーディションに合格し、ベリーダンサーとしてマンハッタン、ブルックリンで数々のショーに出演。師イブラヒム・ファラより “Karima(カリーマ)”の名を受ける。



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本場エジプトでベリーダンスとアラブ舞踊全般を学び、
正規の就労ビザを取得した小松芳舞踊団のオフィシャルWebサイト © Office KOMATSU and The KARIMA Arabian Dance Company.